現在、このどうしようもないブログを書くために必死に過去を掘り起こしている。
二十数年前の正確な回転数や数値なんて、もう霧の向こうだ。記憶はいくぶん歪んでいるかもしれないし、都合よく美化されているかもしれない。けれど、「あの時の感情」だけは、今も指先が、そして胃袋が覚えている。
前話、第14話のあの夜。8,000枚オーバーの札束を手にしながら感じた、あの「崩壊した何かの」の正体。
それを突き止めるために記憶の断片を繋ぎ合わせ、当時の自分と対峙してみた。
そこで見えてきたのは、単なる金への欲望ではなかった。俺が求めていたのは、勝敗という結果以上に、あの「脳がチリチリと焼けるような、ヒリつく勝負の瞬間」そのものだったのだ。
かつて、ある先輩が言った。
「胃が痛くなかったら、それは勝負じゃねえんだよ」
当時はその真意を半分も理解していなかった。だが、「設定6」をつかみ、全財産の3万5,000円のうち半分以上を溶かし、残り1万7,000円で震えるレバーを叩いていたあの時、俺の胃は間違いなく悲鳴を上げていた。 深夜3時の新聞配達で指を凍らせ、ズルズルと連れて行かれた空手道場で理不尽に殴られ、意識を飛ばして見上げた木目の天井。そんな生活の中で、俺の「痛み」に対する感覚は麻痺していたのかもしれない。
でも、その「胃の痛み」があるからこそ、山・7がテンパイした瞬間のカタルシスは、麻薬のように俺を支配したのだ。 設定6を打ち切り、万枚を目指す。それは「効率的な投資」なんて綺麗な言葉では片付けられない、もっと泥臭く、もっと不条理な執着だった。
勝っても、負けても、そこには常に「もがき」がある。 胃をキリキリと締め付ける不安と、それを一撃で吹き飛ばす強烈な光。そのサイクルに身を投じること。それこそが、空手道場でも新聞配達でも得られなかった、俺にとっての「生の証(あかし)」になってしまった。 「やりきる」という意志は、このヒリつく感覚を味わい続けたいという、依存にも似た渇望から生まれていたのだと思う。
いやホント、すごく馬鹿なことを言っているのは、自分でも理解している。 でもさ、そこと向き合わないと、俺は馬鹿なまま人生を終えてしまいそうだから、今このブログを書いている。
自分の馬鹿さをさらけ出すことに、もはやプライドなんてない。むしろ、それを「ネタ」として笑ってくれる奴が一人でもいるなら、それはそれで俺は幸せだ。
人生ネタづくり。
どん底で、胃が痛くて、明日が見えない状況でも、人は笑っていれば大概のことは不思議と乗り越えられる。実際、俺もそうして耐えてきた。ホント、パチスロで火傷しただけの馬鹿が大げさに何を言ってるんだ?って思うかもしれないが、自分の馬鹿さを露呈して、誰かが一瞬でも「ふふっ」と笑ってくれる、その瞬間にだけは、本当の意味での「救い」があるような気がするんだ。
いやマジ、たかがパチスロの話なんだけどね。
本気になってはいけないものに命(?)をかけ、勝手に火傷して、人生観を歪めたバカの独白。けれど、そんな下らない遊びに振り回されたからこそ、見えた景色が確かにある。
第一部、崩壊編。これにて完結。 物語は次なる「荒波」へ。


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