【第拾壱話】潰れた拳に連行されたエセ苦学生の苦悩

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合格を決めたあの日、俺は親に対して最大限の感謝を感じていた。

何も言わず、好き勝手にやらせてくれたこの一年間を少なくとも「合格」という結果で、最低限の義理は果たせた。


何にせよ、勝てば官軍。すべて良し、である。


こうして、俺の大学生活は一年遅れで無事幕を開けた。

当時、内田有紀が出演していた「キャンパスライフ」というドラマに憧れて大学を目指した俺は、この後訪れるキラキラした「期待値」に胸を熱くさせていた。

ちなみにウチの大学のすぐ近くには、大手の巨大なホールが2件鎮座していた。 通学路にあるそのネオンは常に俺の視界に入ってきたが、「強制スロカット」の影響を引きずっていた俺は、珍しくそれをスルーし続けていた。今はまだね。

入学直後の学内は部活勧誘の熱気に包まれていた。 俺が真っ先に足を向けたのは、入学時から興味を持っていた自動車部のブースだ。しかし、展示されていたマシンの状態を見た瞬間、俺の経験が冷ややかに反応した。 横でマシンに対し熱弁を振るう先輩の話は、デタラメのオンパレード。特に二輪。 「このタイヤで、この速度でコーナリングが……」 「馬力がどうの……」 タイヤの摩耗具合とマシンのセッティングを見れば、それがハッタリであることは一目瞭然だった。いやはや、である。

そんな時、

「君!!うちに入ってね!」

背後から、絡まれたのかと思うほどの衝撃が肩に走った。振り返ると、俺の体を見て目を輝かせている男が立っていた。俺の方をつかんだの男の拳は赤黒く潰れていた。そして有無を言わさぬ力でニコニコとひとりで聞いてもいない事をしゃべりながら学内の一番端の道場へと俺を引っ張っていった。

渡された入部届には、見たことのないような力強い文字で「空手道」とあった。


俺は高校時代の千鳥号での新聞配達により、当時、かなりガタイがよくなっていて身長も180を超えていた。この時ばかりはこのみかけだおしのボディーにちょっと後悔した。


「いやいやいやいや、、」

格闘技は見るのは嫌いじゃない。だが、やるのは完全に別物だ。

だいたい、俺は気が弱いし殴られるのは痛いから嫌いだ。ガタイが良いから誤解されるが、中身はただの平和主義者(チキン)なのだ。子供の頃、馬鹿だったせいもあり親には散々叩かれてきたし、家の外ではケンカが弱く、いつもやられてばかりだった。

 

講義中、俺は怯えていた。講義が終われば、あの道場へ行かなければならない。「内田有紀」なんてものはいない。どこを探しても、ドラマのような爽やかな風なんて吹いていなかった。

新入部員は、俺を含めてわずか2人。 逃げ場はない。あの赤黒く潰れた拳を思い出すだけで、足がすくむ。

とにかく行かなければ、何をされるか分かったもんじゃない。バラ色のキャンパスライフが血の色に染まる・・・。

それから毎日が「人間サンドバッグ」だった。毎日「……辞めよう」と何度思ったか・・・

何より身体が痛すぎて、大好きなバイクに乗ることさえ苦痛になっていた。おまけに、遊ぶ金の為にバイトも探さなければならない。だが、入部三ヶ月で逃げ出すのは何か嫌だった。

どうしたらよいか考え抜いた結果、「よし、とりあえず一年、逃げ回るサンドバッグになってみよう」と決めた。

もともと人を殴り慣れていない俺にとって、攻撃に転じるのはハードルが高すぎる。ならば、徹底的に「かわすこと」に全振りすればいい。 俺は攻撃を捨て、ひたすらに、飛んでくる拳や蹴りをいなす為、「受け」の動作だけを延々と反復練習した。

血が滲んでからの努力だった。


一年生の夏前のある日曜日、俺はいつものバイク屋にいた。 見知った顔がそろう、ここは家ではない俺のもう一つの安らぎの居場所だ。 そこで、歳の離れたバイク仲間がバイトを探しているという話になった。その人が何の仕事をしているのかそれまで知らなかったが、聞くとなんと「新聞屋」しかも、かつて俺が死ぬ思いで配ったのと同じ新聞社だった。

「これだ……!」

深夜から明け方の仕事。「これなら、大学も、部活も、時間を削らずに両立できる!」 かつて俺を絶望させた「狂ってしまった体内時計」が、今度は最大の武器(スペック)に変わった瞬間だった。

すぐに話はまとまった。翌週にはもう、俺は新しい順路を回っていた。 経験者という事もあり、部数も多かったが、前回の販売店より好待遇で、提示された金額に断る余地などなかった。

こうして俺は、再び「エセ勤労苦学生」として明け方の街へ繰り出すことになった。道場で殴られ、早朝に新聞を配り、講義で寝る。血とインクの匂いがするキラキラしないキャンパスライフをスタートさせた。

だが、まとまった現金を手にした俺の脳裏に、封印していたあの「ネオン」が、少しずつ、少しずつ怪しい光を灯し始めていた。

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