さかのぼること、20数年。
俺の人生の歯車は、もしかしたら高校時代のあの「異常な朝」に、すでに狂い始めていたのかもしれない。少なくとも振り返ってみると人生の転機になったのは間違いではない。
当時、まだ高校生だった俺は朝刊の新聞配達のアルバイトをしていた。
目的は非常にシンプルだ。
「遊ぶ金」と、なにより「大好きなバイクに乗り続けるための金」を稼ぐため。
ガソリン代、オイル代、すり減ったタイヤの交換代……。
「遊ぶ時間」と「遊ぶ金」この2つが両立できるバイトは俺にとって、とても都合がよかった。
しかし、当時としても大変な部類のバイトをわざわざ選んだ本当の理由は少し違う。
実際はこうだ。
高校の友達がバイトしている酒屋に紹介で面接に行ったのだが、タッチの差でちょうど人が見つかったらしく「もう募集しめきったんだよ」と言われてしまったのだ。
バイクの新たなパーツ代の為、どうしても金が欲しかった俺は、何とかバイトをさがさないと!とかなり焦っていた。
完全に当てが外れた俺は、断られた酒屋のバイトの面接帰りに「バイトしたいのですが、雇ってください!」とアポもなく近所の新聞屋に飛び込み即座に面接にこじつけたのだ。
今思えばなかなかのバイタリティーである。
なせわざわざ新聞屋?と思うかもしれない。
俺もいまだに何でそこに行ったのかよく分からない。当時、ここならカブ(配達車両)に乗り放題!的な高校生にありがちな楽観的思考だったのかもしれない。
そしたら普段はあんまりいるはずのない新聞販売店の所長(一番偉い人)が事務所でタバコをふかしていて、俺の履歴書を受け取ってくれたのだ。
酒屋に出すはずだった履歴書を・・・
タバコを大きく吸い込み30秒くらいだろうか、
履歴書に目を落としつつ所長が聞いてきた。
所長 「お前、高校生か?で、いつから来れるんだ?」
俺 「はい。高校生です。明日からきます!」と渾身の笑顔で言い放つ
所長 「いくらい欲しい?」
俺 「ろっ、、6万!!・・・6万です。」
所長10秒くらい無言。
所長 「分かった。月6万。朝3時半にココな。じゃあ頑張れよ。」
ホントに面接はコレだけで、店(新聞屋)に凸してから時間にして5分もしないでバイト先を得たのだ。
バイトを締め切ったといわれた酒屋まで片道20分。往復で40分。酒屋までの行きも、この、自宅から3分の新聞屋の前を通ってる。書きながら思い返してみたけど人生ってなんだか不思議なもんだ。
しかし、その代償はなかなかに過酷だった。
所長の考えで高校生はバイク禁止令を出していて、当時、16歳で中型二輪免許取得していたのにも関わらず、俺の仕事の相棒はブレーキのキーキーうるさい当時ですら見かける事の少ないオンボロの千鳥号(クソ重たいけど丈夫な昔のチャリンコ)だった。(まあ、この千鳥号のおかげで握力が勤めてる間に30㌔あがったが)
なにはともあれ、バイクを維持するには金がかかる。親に頼らず、自分の好きなことを貫くための代償が、毎朝3時半から始まる自転車漕ぎだった。
新聞屋バイト初日。
最初の一週間は配達順序を教えてくれる「師匠」と二人で配達順路を回った。
師匠は年配の男性(50代)でシルベスター・スタローンを日本人にしたような渋い顔つきの人、だけど口を開くと東北訛りが強烈に酷い・しかも前歯が1本無い。欠けた歯にタバコを挟んでよくふかしていた。
師匠はとても教えるのが丁寧で、順路帳が読めない俺にも分かるようにと、地図を手作りしてくれるような優しい人だった。俺はこの人が大好きだった。
*順路帳・・・新聞屋が配達で使う特殊なノート・特殊な順路記号が記さており、その記号の通り配達する。
師匠についてまわる夜明け前の見慣れた町は、すがすがしく、思いのほか気持ち良かった。多分夏だったのもあると思う。
しかし、
慣れて独り立ちしてからはやっぱり
気持ちよい朝 <「・・・眠い」の一言である。
休みは月に2日のみ。休刊日と好きな日に1日だけ。
雨だろうが雪だろうが関係ない。販売店に新聞が運び込まれたら是が非でも配り切らなければならない。しかも時間制限付き。
基本的に最寄り駅の始発前までに配り終えなければならない暗黙のルール。
バイトを始めてしばらくたったある晩、俺はインフルエンザで39度を超えるの熱を出してしまった。もちろん学校も休み。バイトも早めに休みの連絡しようと師匠(・・・だったと思う)に電話した。
俺 「師匠・・す・みません・・。インフルで熱が39度こえちゃって・・・。」
師匠 「おう、分かった。大事にしろな。仕事はについてはアレだ、アレ。」
俺 「・・?」
師匠 「とりあえず明日は来いなっ! 明後日から休んでええからよ!」
そんな、、
なんとも暖かいアットホームな職場だった。
当時、バイトといえど予定外に「休んでいいよ」なんて言われることはほぼ無かった。最初はこの熱で配達!!?正気か?とも思ったのだが、今日だけ乗り切れば休めるという感情がその日の頑張りを後押ししたのは事実。
んでもって翌早朝。
医者からもらった解熱剤の錠剤をバリバリとかじり、意識が朦朧とする中で、重い新聞を自転車に積み込む。
例のごとく、こういう日に限って広告が多い。
別にギブアップをしても良かったのかもしれないが、ケツを拭くのは多分師匠だ。
(当時は、なんとしても行かなきゃ、今日だけ、、とりあえず終わらそう・・・って思ってた。)
この辺が俺の変な性格なのかもしれない。または断れない日本人の代表みたいなものなのかもしれない。
積み込みが終わり千鳥号のスタンドをはらう。
「んじゃ、行ってきます。」を言おうと店の中を覗くと
俺の他に真っ赤な顔した社員がちらほらいるのに気付いた。
社員さんも風邪か?なって思ったがだがどう見ても元気。
そう、やたら元気なのだ。
え、お前も熱出したのと違うんかい!!?
と思いつつ、
社員の会話が自身の熱でじんわりと痛む耳に否応なしに流れ込んでくる。大音量で。
社員A 「おうおうBさんさー聞いてよ!!まいったよ昨日も夕刊の後から閉店まで告知光っぱなしの出っぱなしー!おかげで寝ずに飲んできちゃったー」
社員B 「あそこの角台!?またお前あそこ座ったの?そーいやおとといもじゃん!?じゃあアレ、絶対据え置きだったよ!間違いない!!」
朝3時過ぎ。世間様はぐっすりタイム。
当時50前後の社員が、うなだれる俺の横で、昨日のスロットであろう収支を面白おかしく、大声で笑い飛ばしているのだ。
んでもって熱でフラフラの俺にかまう。
社員A 「おー少年っ!どしたん?おまえ赤くね?あれか、飲みすぎか??」ケタケタ笑う。そしてなにより酒くせえ。
俺 「いや、インフルで・・熱がちょっと・・」(ハァハァ・・)
(こちとら高校生じゃい!!と心ででツッコむ)
社員B 「あららぁ~つらそうだなー、ふらついてコケて新聞破くるなよー!めんどくせぇから!」こいつもケタケタ笑う。
おたくら人の心とか無いんか!!まったく・・・。
もう指先の感覚すらよくわからなくなってる俺、これから数千円の日当のためにペダルを漕ごうとしているのに。何だろうね。狂ってるね。アットホームだね。
しかし、大の大人がそこまで夢中になるなんて、
(……パチスロって、そんなに面白いのかね)と
どこか冷めた目で彼らを一瞥してペタルを漕ぎ出した。必死に働く一円の重みを知っている俺にとって、社員達の「万単位の勝ち負け」は、なんだか別の世界の馬鹿げた話に聞こえた。
だが、皮肉なものだ。 その「馬鹿げた世界」にどっぷりはまり、今も抜け出せずもがき続けることになる近い未来を、当時の俺はまだ知らないのである。
【今の俺から、当時の俺へ】 「バカな奴らだ」と冷めた目で見ていたあの時の俺を、今の俺は全力で殴りたい。 一円の重みを知っていたはずのその綺麗な指先が、20数年後、同じように酒臭い顔をして、数万の現金を「投資」という名の言い訳をしながらレバーに叩きつけている。
結局、軽蔑していたはずの「狂った大人」こそが、未来の俺の姿だった。 人生の整備不良は、この過酷でアットホームな職場の、あの「異常な朝」から、もう始まっていたのかもしれない。
「25年パチスロを辞められないクソな男が、投資で人生を捲ろうともがく現在進行系のドキュメンタリー」は続く。


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