ポイントカード貯めた俺は翌朝9時55分にホールへ行く。
開店と同時に見知った店員にポイントカードを渡す。
「角のオオハナ(大花火)でおねがします!」
「おう!この台か?がんばれよー」
と店員の手が、角台のオオハナを開けリール下のボタンを無機質に押し込む。 その瞬間、赤色のデジタルセグに鮮烈な数字が浮かび上がった。
「 6 」
網膜に焼き付くような、赤色の光。
それを見た瞬間、俺の脳がチリチリと音を立てて焼かれていくのがわかった。
180個のスタンプ。深夜の新聞配達。空手道場での失神。 それらすべての苦行が、この赤く光る数字一つで正当化され、そして一瞬で過去へと葬り去られた。 「やりきれば、この数字(未来)を掴めるんだ」 その6という名の劇薬が、俺の脳のシナプスを一本残らず焼き切っていく。
今まで俺を辛うじて繋ぎ止めていた「自主規制」という名の細い糸が、ぷつりと音を立てて弾けた。
身の丈に合った勝負?
生活を守るための節度?
そんな言葉は、この「6」の残像の前では何の意味も持たなかった。
俺の手は、もはや俺の意志を離れ、吸い寄せられるようにメダルを投入する。 ジャラリ、というメダルの音すら、脳を溶かすための旋律に聞こえる。
「さあ、見せてくれ。180個の代償を」
レバーを叩いた瞬間、俺の人生は後戻りのできない領域へ足を踏み入れた。 ブレーキの壊れたダンプカーが爆走を始める。 その先に待っているのが万枚の栄光か、それともさらなる地獄の入り口か。 そんなことは、もう今の俺にはどうでもよかった。
俺のCPUは、ただこの「6」という光に狂わされるためだけに、真っ赤に焼け焦げていた。
レバーを叩いた瞬間、聞き慣れた「テロン」というスタート音とともに、上部リールが滑らかに回転を始めた。 「やっぱり設定6だな。音が違う気がする」べつに遅れがあったわけでもないのに。 脳が焼かれた俺は、ただのスタート音にさえ運命を感じ、幸先の良さを確信していた。
しかし、現実は非情だった。
180個のスタンプを貯めきった執念への「ご祝儀」なんてものは、パチスロの世界には存在しない。 回せども、回せども、液晶は静まり返ったままだ。 チェリーや山は落ちる。だが、肝心のボーナスが来ない。
1万円が消え、5,000円が溶け、気づけば1万8,000円がサンドに吸い込まれていた。
「おかしい。設定6だぞ? 店員が6って表示させたのを見たんだぞ」
脳内のCPUがオーバーヒートを起こし、エラーを吐き出す。 設定1なら「いつものこと」で済ませられたハマりが、設定6という「約束」があるせいで、耐え難い拷問に変わる。
今日のために用意した投資金は3万5,000円給料日前の全財産だ。
「設定6ならすぐ当たる」という甘い考えは、開始1時間で打ち砕かれていた。回せども回せども台は沈黙し、残り1万7,000円。 焦りと恐怖で、道場の床で失神した時のような嫌な汗が背中を伝う。
だが、その沈黙を破ったのは、オオハナで俺が最も愛する停止形「山・7テンパイ」だった。
この意味は当時を知る人なら頷いてくれると思う。
リプ・ 山 ・ 回
山 ・七 ・ 転
七 ・リプ ・ 中
そこからは、怒涛の連チャンだった。
MAX711枚の連チャンはまるで壊れた蛇口から溢れ出す水のように、次から次へと箱を埋めていく。ちょっと深いハマりでも再び怒涛の連チャンを呼び込む。 一箱、また一箱と、頭上に積み上がるドル箱。 俺の脳は、もはやチリチリと焼ける音すら聞こえないほどに、快楽物質で麻痺していた。
気づけば夜の十時半。 遊戯終了後のホールの喧騒の中で、俺は最後の一枚を流した。
「 8,000枚オーバー 」
カウンターで受け取った札束の重みは、現実感を失うほどに厚かった。 180個のスタンプ、あのドロドロとした執着。そのすべてが、この「八千枚」という数字に結実したのだ。
「……成し遂げた。俺は、やりきったんだ」
夜の風に当たりながら、俺は安堵感とやり切ったという達成感を感じていたが、同時に何か取り返しのつかない、とんでもないことをしでかしてしまったという、底知れぬ恐怖に近い感覚があった。
新聞配達で泥にまみれて稼ぐ数千円。 空手道場で殴られ、失神して守り抜いた自尊心。 それらすべてが、この一日の「レバーオン」という作業の前では、あまりに無力で、あまりに馬鹿げたものに見えてしまった。
一度この蜜の味を知った脳は、もう二度と「まっとうな苦労」を正しく評価できない。
この日が、俺を壊した。 本当の意味で、俺という人間を粉々にぶち壊した。
「努力」や「忍耐」という言葉の定義が、札束の重みで歪んでいく。 一度でもこの「成し遂げてしまった」感覚を味わえば、もう元の中途半端な自分には戻れない。 俺は、店に「はめられた投資家モドキ」だったはずが、いつの間にか「禁断の果実」の味を知る、戻れぬ迷い人になっていたのだ。
手に残った札束の感触と、耳の奥で鳴り止まない大花火のギュイーン・・・
俺の人生の「設定」は、この夜、完全に狂わされた。


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